陽射しの柔らかな昼下がり、映画を観るわけでもなく、
美術館を覗くわけでもなく、まして買い物をするわけでもなく、ただ目的もなく横浜散歩。
まずは「こんなとこにいるはずもないのに」な桜木町から、なんとなく歩き始める、
桜木町には大きな観覧車があるのでせっかくだから空中散歩といった趣きで乗車する酔狂。
観覧車に乗ったのなんて何年振りだろう、などと思いながらシースルーの眺めにドキドキ、
山下公園の方を眺めると大桟橋には大きな客船が停泊していて、この距離でもかなり大きく見える。
ランドマークもいつもと違う角度から見ると新鮮、よく横浜に遊びに来ていた10代の頃は、
まだランドマークもベイブリッジもみなとみらいもなかった時代、過去は少しずつ遠のいていく。
すべては変わっていくのだろう、変わらないのは過去だけだ。
赤レンガ倉庫のそばに出来た新しいショッピングモールもちょこっと覗きながら山下公園へ、
ベンチに腰掛け海を眺め「この景色は昔から変わらないなあ」と思う新緑の午後。
いつもなら山下公園から中華街へと向かってしまうけれどもう少し足を延ばし港の見える丘公園へ、
外国人墓地を眺めていると学校帰りの女の子たちが列をなし元町駅へとお喋りしながら歩いていく。
横浜には色んな思い出がある、それぞれの場所にそれぞれの優しい記憶。
さて、ちょこちょこと本は読んでいるけれど、
近頃は再読ばかりで久しぶりの新刊を読める喜び、それも木内昇の新刊を読める喜び。
『よこまち余話』 木内昇 中央公論新社
路地を挟んで並ぶ長屋に住むひとたちの物語、
静謐な季節の移り変わりを眺めながら紡がれていく17本の連作短編集。
ただただ物語に引き込まれていく時間の心地よさ、改めて木内昇の素晴らしさを感じる。
お針子の齣江(こまえ)の言葉が深い余韻を残す、
「覚えていればいいの。みんなが忘れてしまっても、覚えていてくれればいいのよ」。
読み終えるのが惜しくなるほどいとおしい、そんな1冊。